ゲストハウスをチェックアウトして、マイクロビーチを散歩。さっきまで居た、北部断崖とはまるで種類の違う海の色やさざ波の音。

ハイアットリージェンシーからシャトルバスで空港へ。

空港には、空港の今と昔の写真パネル展示が充実していた。発展の歴史に戦争がついて回る。

世界各国の公衆電話の写真を撮ってきたが、この旅では見つからなかった。というか、空港の電話コーナーから電話が撤去されていた。

行きの便の機内食は日本の手まり寿司。帰りはチャモロごはん。微妙だったけど、レッドライスにレモン絞ったり胡椒をかけて食べきった。こちらの伝統料理なら良しとしましょう。

空全体が虹色になったのを見た。
3月15日帰国。

その後の世界。
3月17日、現地の人のブログによると、グロット、マニャガハ観光が閉鎖となった。

3月18日、サイパンも渡航制限。行き来する場合は、日本帰国後2週間の行動制限。

3月28日、東京都知事が外出自粛要請。

私はずっと Hops というアプリで、1日10,000歩以上、10階以上の階段歩行などを続けていたが、状況が変わってしまった。
3月29日は、91歩しか歩かなかった。

4月7日、東京、埼玉、千葉、神奈川、緊急事態宣言。

その頃でも「来年2月あたりはウラジオストク氷上マラソンを走ってみたい」と思い、旅行アプリで検索したり、マラソンやファンランの情報を集めたりていた。

色々あって、いや、なにも打つ手がなくて、ウイルス感染拡大に世界中が注意すべき状況は続いた。

8月31日、長年途切れずに更新していたパスポートの期限が切れた。

人間のいなくなったサイパンのダイビングスポットに、ウミガメが戻ってきたという。
バルセロナのサグラダファミリアの観光が止まり、資金調達の問題で完成が延期した。
パリでは行動制限の一環で車道が自転車専用レーンになり、空気汚染問題が解決した。
私の旅、いったんここまで。