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5/8 ポーランド

アウシュビッツの牢獄の一部は、博物館になっている。

当時の様子をそのまま残した部屋の他に、遺留品を公開したり、現代的な表現の展示もある。

記録。経緯、数、規模、事実。

果てしなく積み重なったカバン。

大量の靴だけが集められた部屋。

親族がやってきて供えた花だろうか。

こんな過ちを繰り返してはいけない。それは、もちろんであると先に言っておく。

ここで、ふと、私が感じた事は、悲劇に怒りが込み上げるとか、飯がのどを通らなくなるといった類の感情でなく、なんというか、人間が過ちの巨大な流れに黙進し、大罪を犯す事への一体感だ。

髪の毛で編まれた絨毯を見入る長髪の女性。

アウシュビッツに興味を持った時点では気づいていなかったが、自分の中の生まれ持った悪徳や残虐によって、この異常事態に目を向けた部分が、無意識の数パーセントにはあったのではなかろうか。

取り上げられた義手義足。

「こんな過ちを繰り返してはいけない」と、命じなければ引出されてしまいそうな悪が、人間には脈打っているという事。

同じ生き物である人間が、暴動や野生でなく、政治と組織でここまでやってしまったという事実に、まるで私が、仇として指差される様な罪悪感。

地下室。

この状態を作り上げたのも人間なら、こんな状態の中で、人を励まし、人を助け、勇気を示した者もまた人間。

資料館でこの顔を見る瞬間まで、私はマキシミリアン・コルベのことなど、すっかり忘れていた。飢えや死がすぐ傍らにありながら、人間の清い精神を貫き、生き終えた人が実在していた事を思い出した。それで、当時のままの地下房へ降りた時には、足をとめて問いかけざるを得なかった。

名もなき人が壁に描いた十字の傷が、私に影響を与える。こんな世界で、どうして、隣人を励まし、正しく生きてゆく事ができますか。

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